Monday, May 14, 2007

看取る

 昨年2月、72歳の母まさ子さんを、膵臓(すいぞう)がんで看取(みと)った。がんとわかって半年の闘病だったが、告知はしなかった。
 「母の体を思い、心を思い、ほんとうの病名を家族で隠し通しました。トランプの神経衰弱みたいな気持ちで、家族で必死で演じて。告知をしないことが、良かったのかどうか、今でもわかりません」
 秋吉さんは19歳の時、映画「赤ちょうちん」で注目され、女優として一線を走り続けてきた。父の死後、母は福島県で一人暮らしをしていた。
 「とにかく元気な人で、風邪で寝込んだ記憶もないほど。庭の手入れが好きで、ドクダミ化粧水や梅酢とか自分で作って、健康が趣味という感じ。東京で一緒に暮らそうと言っても、腰を上げようとしませんでした」
 一昨年8月、里帰りしていた妹が、風呂上がりの母の顔が黄色いことに気づいた。主治医にかかると、膵臓がんの疑いを指摘された。
 「妹は母に、がんの疑いには触れず、『大きい病院で検査した方がいい』とだけ伝えました。結果がどうなるにしても、私はとにかく感情を抑えよう、冷静になろうと思いました」

72歳だった母まさ子さんの膵臓(すいぞう)は、がんのため3倍に肥大し、医師から家族に「余命は6か月以内」と告げられた。母にがんを伝えるかどうか。医師からは「患者の受け止め方は一人ひとり違うが、お母さんはしっかりした人だし、告知をした方が家族も楽になる」と言われた。
 「母はそう見えても、もろい面もあります。告知した時、どちらの面が出るかわからなくて怖かった。私たちが楽にならなければすむんだと思いました」
 3日間、妹や親戚(しんせき)と何度も話し合った。
 「治療で1か月でも寿命を延ばせる可能性があるなら、告知をして、一緒に闘うことも考えました。でも、冷静に説明を聞くと、検査と手術で3か月の入院が必要で、うまくいかなかったらそのまま命を落とし、良くても、退院後1、2か月の小康状態の後に、死を待つために再入院ということで、勝つ見込みのない闘いです。告知した時の本人のショックを思うと」
 告知はしない、と結論を出した。病名は医師と相談して胆管炎ということにした。治療は対症療法だけ。胆汁を取り除き、黄だんがなくなれば、数か月は普通に暮らせる、と考えた。
(2007年5月14日 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/sokusai/20070507ik01.htm
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/sokusai/20070514ik02.htm?from=yoltop

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